バウハウスから100年後

カンディンスキーの昔の本に出会った。
彼がバウハウスに移って、
その当時の学生とのやりとりなどが書かれていた。




パウル・クレーにしろ
マックス・ビルにしろ

彼らはてっきり近代合理主義の中で
バウハウス的統合をやってきたのだとばかり思っていた。

なんと、、、

彼らは、インスピレーションが天からもたらされると
言っているではないか。

天啓によるデザイン

巨匠達が、まさかの見えない世界への
敬意をかたっているのには驚いた。

合理的なバウハウスの近代的な考え方、
伝統的な建築や芸術からの脱却といった
見た目のものに惑わされていた。

彼らはしっかりと、天啓によるデザインを
そのモノに宿る精神を形作っていたとは。


忘れてしまった価値

我々現代人はどうだろう?

いったい幾人が、その価値を尊いものと受け止められよう?
計り知れぬ価値

時間もまた価値であるが
一方向性ではないと知った以上
ますます拍車がかかるだろう。

言葉が言葉として、日本語の意味としての体裁をなさなくなりそうだ。

それでもいい。

書かねばならない。

描かねばならない。

そして作らねばならない。

後世に伝えるため。
わかる人にダイレクトに伝えるために。


感謝。