これからはヒトの時代
モノではなくコトとなった。
誰が作るか
誰がやっているか
今しばらくの間はヒトは国境を越えて世界中を旅する。
では、そのヒトとは?
ヒトは地に足をつけて生きている。
ジオタグを踏んで、そのログ上でいきるしかない。
その土地で何をしているか?
どんな土地なのか?
ジェネリックな街並みが増えて久しいが
それでも、土地には固有の差異がある。
さして変わらぬその違いは
マーケティング的には弱いため、
インパクト勝負が出せるところが注目され
その部分で勝ち上がって収斂する。
それは構わない。
ヒトの時代ではあるが
ヒトの自主性の時代ではない。
むしろ、ヒトの生きる行為から
主導権を取り除くべき時代。
委ねる時代に入る。
そんな中に、諫早の地は何ができるのだろうか?
長崎は何ができるのだろうか?
固有の歴史を与えられた地は
何を生み出そうとしているのだろう?
今生きている我々が世界に出て行くのか?
それとも、世界から受け入れるのか。
どちらにしても興味は尽きない。

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