不可思議の根底にあるものへ

迷うということは選択できる自由が与えられていることを意味する。

確かにこの現代は選択すること、すなわち迷うということが起きてしまった。

その昔、人々は神と共にあり
神仏を信じていた。

しかし今はどうだろう?

そんなものはまがい物扱い
迷信扱いになってしまって久しい。

「生きる基準」を亡くしてしまった時代

もちろん基準としての「科学」はある。

しかし、それは目に見える世界、
見えないものをビジュアル化して
体系化した世界である。

いうならば半分のみの理解

もう半分は、、、不可思議の世界

もちろん科学である程度は
実証可能になるだろう。

それでも、完全に暴き出される時など来ないと断言する。

なぜって?

さぁ、自分に聞いてみてほしい。

あなたの中を解明して行った時に
果たしてすべてのことが明白になるだろうか?

そのモヤモヤがある以上
科学的な基準は片割れにすぎない。

今こそ、もう片方の事実に気づく時ではないか?

芸術や文化といったものを醸造するのは
もう片方の世界の土壌である。

最近はデザイン的なものへの関心が高くなったことを嬉しく念う。

しかしできるならば、表象だけにならないでほしい。
その裏に、その根底に流れている人間たちの
根のつながりとその素晴らしい営みにも目を向けて。

素晴らしい世の中になっていくことを嬉しく念う。
ここ長崎から。ありがとうございます。

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