外国人力士と品格の問題から考えるヒトの生き方

横綱の品格、、、として揺れに揺れている。

 

ただ勝てばいいというのがスポーツというなら
近代スポーツにおけるスポーツマンシップとは
単に正々堂々というだけなのだろう。

 

大相撲の面白さは、品格という「勝ち方」にまで
美意識を求められること。

 

それは、外国人力士にはつらいのかもれない。

 

それでも、この国は横綱のあり方、atitudeというものを
据えて基本的な、極めて根本的なものが揃う。

 

ただ勝てばいいのであれば
ロンドンオリンピックの時の
柔道の惨敗の試合の数々がある。

 

それは柔道とは到底言えないような代物。

ただ勝ちにこだわった外国勢には
日本の柔道は馬鹿馬鹿しいものに映っただろう。

 

しかしそれは誤解というか
ミスリーディングである。

 

美しさ。勝者の美学。

弱きを過剰に責めない。
無論、相手が怪我をしているところを責めない。

相撲に関しても
明らかに負けて土俵から出かけている相手に
追い討ちをかけて追いやることはやはり美しくない。

 

美しいとか美しくないなど
勝負、特に生死を分けた戦いには無意味だといわれるだろう。

 

だが、それはこの世界に限って言えば、、、という限定期間で無意味にすぎない。

 

輪廻した世界、とりわけその中でも生死を繰り返す我々は、
前世でやったことで評価が分かれてしまうだろう。

 

だから、やってはいけないことがある。

ただ勝てばいい、、、という勝負に勝ったとしても
魂のスパンでは負けているのだ。

 

その負けに気付かない限りは
何度も何度も同じ目にあわされていく。

ヒトは学ばないといけない。
そして改心して良きヒトとなっていくべきだ。

 

それができる時期に来たのではないだろうか?

 

 

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