祈りのナガサキからの諫言

ただいま東京での展覧会に出展する作品を急ぎまとめ中。

諫早の地で作るということを考えながら。
長崎という土地のもつ力も含めて。

そうなると気になるのはやはり「祈り」

祈りのナガサキにはローマ教皇も訪れた。
原爆がらみではあるが、カトリック信者が多いナガサキに。

別にどんな宗教でも構わないと思う。
ただ、今の日本には「祈り」があまりにも少なくなったと思う。

自分のために祈ることすらないのではないか。

ましてや誰かのために祈ることも。

東洋が手に入れた「静寂」の時は
祈りの時にもたらされる。

それは念仏でもいいし、祝詞でもよい。
マントラもいいだろう。

そのような場所が生活から抜け落ちているなら
そのような場所を復活させたい。

今の暮らしに合うカタチで。

祈りのナガサキから
現代人へ諫早からの諫言を。

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