精神なき伝統は無意味

コロナ騒ぎで前代未聞の大混乱に陥っている今日。

この騒ぎはきっと簡単には収まらないだろう。

いい意味で、日頃の生活のあり方を見直すいい機会になっている。
ありがたい時間をいただいていると思えてならない。

世の中、科学的な医療技術にフォーカスしているが
どうして祈るということをやめてしまったのだろうか?

伝統工芸はこれからどうなるのだろうか?

伝統柄など幾何学は確かに
その反復性も手伝って美しいと思える。

しかし、本来の出自は、その柄に意味があるのだ。

柄ではなく、形態、色によるプログラム

我々は、そのプログラムを読む能力を失ってしまった。
だから、表層的な柄としか認識できていない。

たとえば、今ある回路基板には意味や機能があるが
それとて、電気が通らなければただの複雑怪奇な柄である。

伝統柄、特に幾何学的な文様には
太古からの記憶がある。

太古からの信仰の文様であることは間違いない。
それを使いこなす術を失って数千年。

ここにきて、我々は岐路に立たされている。

形而下の現象にフォーカスしすぎているが
本来は、理性を飛び越えた宇宙的な、一人称の世界がここに広がっている。

精神はそこにある。
その精神性に再接続し再認識しなければ
伝統は単なる飾りで終わるだろう。

コロナを通じて多くのことを考えさせられる世界が
大きく変貌をとげることが愉しみである。

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